富山県の山城 〜中世越中の城館を訪ねて〜

富山の城跡探訪

富山県の山城跡の様子と歴史を、大きな画像で紹介【お城一覧】

 このサイトでは、県西部を中心とした富山県内の山城の写真とその訪問記、アクセス、歴史などを紹介しています。
 基本的に、管理人が訪問した城跡しか掲載していませんので、よろしくお願いします。
 >>更新情報 2022.12 広瀬城・安居城追加 2022.11 樫ノ木城・文珠寺城追加 2022.10 鋲ヶ岳城・中陣砦・寺家砦追加 2022.6 杉山砦追加 2022.5 加賀岩倉城・舟岡山城追加 2022.4 源氏ケ峰城再訪問 2020.4 一乗寺城・今石動城追加

 富山市/射水市高岡市氷見市砺波市小矢部市南砺市立山町上市町滑川市魚津市黒部市朝日町

富山市

白鳥城(富山市)

白鳥城所在:富山市呉羽山
城主:今井兼平・神保長職・神保八郎左衛門・岡嶋一吉 等
もとは富山城の出城として上杉謙信が神保氏に命じて築城したものと言われる。豊臣秀吉による佐々成政攻めでは前田利家の武将が入り、そのまま慶長年間まで前田氏の城として機能した。


願海寺城(富山市)

願海寺城所在:富山市願海寺
城主:寺崎民部左衛門
天文14年(1545)頃に築城された平城。城主の寺崎氏は上杉謙信に仕えたが、謙信死後は織田信長に従う。しかし、反逆を疑われ寺崎民部父子は切腹、願海寺城も廃城となる。


安田城(富山市)

安田城所在:富山市婦中町安田
城主:岡嶋一吉・片山延高
鎌倉時代から館があったと言われ、秀吉による佐々討伐の際、前田家臣の岡嶋一吉が入った。平成2年に発掘され、現在は城跡公園となっている。


大峪城(富山市)

大峪城(伊賀城)所在:富山市五福
城主:神保氏・片山延高
越中守護代神保長職によって築城。秀吉による佐々討伐の際、白鳥城の前線基地の役目を果たし、前田家臣の片山伊賀が守っていた。
(関連)>>安養坊砦……同時期に街道の安養坊坂上に築かれた砦跡


今泉城(富山市)

今泉城所在:富山市今泉
城主:河田長親
現在遺構は無く、日枝神社に案内板だけ存在する。上杉方の河田長親が入り、月岡野の戦いの舞台となった。東西約60m、南北約100mで堀をめぐらした単郭の城であった模様。


蜷川館(最勝寺城:富山市)

蜷川館所在:富山市蜷川
城主:蜷川氏
地頭だった蜷川氏の館跡。蜷川新右衛門は足利幕府では重要な役割を担った。現在、館跡地に最勝寺が建つ。周囲に土塁の跡が見られる。


上熊野城(富山市)

上熊野城所在:富山市上熊野
城主:二宮左衛門大夫
神保氏に仕えた二宮氏の居城。上杉勢に攻められ落城。現在、神明社の南側に土塁を残す。


太田本郷城(富山市)

太田本郷城所在:富山市太田南町
城主:河田長親・斎藤新五
上杉謙信の将・河田長親が一向一揆に備えて陣を構えたのが最初と言われる。その後、織田方の斎藤新五が入り、今泉城の上杉方と戦った。現在遺構はない。


大村城(富山市)

大村城所在:富山市海岸通り
城主:轡田豊後守・丹羽源太
城主の轡田氏は、水橋・東岩瀬地域治めた。天正6年上杉方の河田長親に攻められて落城。城主轡田豊後守雅正は討死した。現在は瑞円寺が建ち、周囲に土塁が残り堀跡と見られる低湿地がある。


日方江城(富山市)

日方江城所在:富山市日方江
城主:江上重左衛門・土肥弥太郎の家老
大村城の出城であり、轡田氏の家老もしくは江上重左衛門が入った。現在は了照寺が建ち、周囲に土塁と堀の跡が残る。


小出城(富山市)

小出城所在:富山市水橋小出
城主:唐人兵庫・榎美庄助五郎・久世但馬守・佐々木藤次
唐人氏の居城、天正9年の小出城の戦いでは織田方の佐々勢と上杉勢が激しく戦った。小出神社周辺にあったと見られ、発掘調査で堀が見つかり大通寺も城域内だったと分かった。


鶯野城(富山市)

鶯野城所在:富山市水橋的場
城主:神保長職
椎名方の小出城に対する、神保氏の最前線。現在遺構はないが、土塁の位置が推定できる。


富崎城(富山市婦中町)

富崎城所在:富山市婦中町富崎
城主:神保氏・水越氏
神保八郎左衛門が居城し、神保長職が本格的に築城した。永禄年間に上杉謙信によって攻められる。その後、水越氏、上杉氏、寺嶋牛之助、佐々成政らが使用した。


銀納砦(富山市婦中町)

銀納砦所在:富山市婦中町富崎
城主:神保氏
富崎城の支城だったのであろう。古墳を主郭として利用している。小さい規模ながらも、空堀を折り曲げ、土塁を設けて守りを固めているが、寺院跡の可能性もある。
(関連)>> 茶臼山城 >> 森田山砦


大館城(富山市婦中町)

大館城所在:富山市婦中町千里
三方を土塁と深い横堀で強固に守っていながらも、正面となる東側斜面には小規模の切岸のみの甘い守りの為、城館とはみなされていない。おそらく寺院跡。
ただ、訪問しやすく、横堀の規模に圧倒される。


長沢城(長沢西城:富山市婦中町)

長沢西城所在:富山市婦中町長沢
城主:桃井氏・寺嶋牛之助
内枡形虎口、武者隠しや狼煙台など堅固な守りで、土塁や切岸が巨大で見所が多い。築城時期については南北朝時代と戦国末期の二説がある。


長沢東城(家老屋敷城:富山市婦中町)

家老屋敷城所在:富山市婦中町長沢
城主:桃井氏・寺嶋牛之助?
伝承で家老屋敷と称する。その名の通り広い郭を多く持つ。長沢西城と合わせて一城別郭と見るべきだろう。
 (関連) >> 菅谷砦

高山城(富山市婦中町)

高山城所在:富山市婦中町高山
城主:寺嶋牛之助
神保氏の家臣・寺嶋牛之助が籠ったと伝えられる。城域の真ん中に南北を分断する堀切が存在し、一城別郭になっているのが見所。ふもとには館や寺など集落が存在した大きな平坦地も存在している。


羽根城(鶴ケ城:富山市婦中町)

鶴ヶ城所在:富山市婦中町羽根
城主:兵庫政近・兵庫安政
神保の将・大間知民部頭源浄安の兵庫政近が築き、富崎城と共に落城したとの伝承があるが、実際に城跡があったかは不明。当然ながら遺構も無いが、案内板が立てられている。


寺家砦(富山市大沢野町)

寺家砦所在:富山市大沢野町寺家
伝承はない。公園化により一部破壊を受けているが、導線を折り曲げた虎口や横堀の存在は確認できる。臨時的な城郭だったか?


城生城(富山市八尾町)

城生城所在:富山市八尾町井栗谷
城主:斎藤氏
神通川に浮かぶ軍艦のように見える南北に長い城跡。神保氏に攻められた斎藤氏が2年間籠城し落ちなかったほど、非常に堅固な守りを見せる。枡形虎口、高い切岸、石塁に巨大な空堀、広い居住空間など見所満載。


井田主馬ケ城(富山市八尾町)

井田主馬ケ城所在:富山市八尾町井田
城主:斎藤氏・斎藤主馬
斎藤氏の井田館の詰めの城とされている。曲輪の削平が不十分で、仮の城を思わせる。しかし多くの畝状空堀の存在が最大の見所であり、富山県内でも珍しい構え。よほど東側の敵を恐れたのだろう。


下笹原砦(富山市八尾町)

下笹原砦所在:富山市八尾町下笹原
城主:神保氏?
城主についての詳細は不明で、尾根筋は堀切で遮断し、二つの郭を土橋でつなげた小型の砦跡。しかし、一方を馬出曲輪として、木橋を設けた跡もある。入口の案内板はあるが、砦に達する道はない。


高嶺城(富山市八尾町)

高嶺城所在:富山市八尾町高峰
城主:神保氏?
単郭の館跡の様相だが、山頂にありながらも横堀と切岸・土塁を明瞭に残し、櫓台や横矢をかける外枡形虎口など守りに工夫が見られ興味深い。


高尾城(富山市八尾町)

高尾城所在:富山市八尾町高尾
主郭の削平は甘く自然地形を残し、周囲の切岸もさほど高くないので、一時的な使用で終わった感がある。
ただ、虎口や櫓台が認められ、導線が設定されているのは興味深い。


大道城(富山市八尾町)

大道城所在:富山市八尾町大道
城主:神保氏・寺島牛助・小島甚助
非常に高所にある城跡として知られ、横堀、虎口、大井戸など守りが固いが曲輪の削平は甘く、使用は短期間で終わったのであろう。城跡の南側下まで林道が通じているので、比較的訪問しやすい。
(関連)>>門口の門 ……伝承では大道城の大手門とされている。


小島城(富山市山田村)

小島城所在:富山市山田小島
城主:小島甚助
城山と呼ばれる山頂に削平地を持つが、特に目立った遺構はない。城跡から西の奥地に、小島甚助・寺島牛之助兄弟が上杉勢から逃れるために身を隠したという洞窟「乱の穴」がある。


岩木砦(富山市)

岩木砦所在:富山市岩木
城主:塩屋秋貞
飛騨の三木氏家臣塩屋秋貞が城生城を攻めた際に使った砦。後に佐々成政も使用。現在は墓地になっており、わずかに土塁の一部が遺っている。


中地山城(富山市大山町)

中地山城所在:富山市大山町中地山
城主:江馬氏・川上中務ほか
飛騨の江馬氏が天正元年に築城。周囲に長大な横堀をめぐらし、櫓台や土塁で守りを固めている。また主郭下に内枡形虎口を設けて導線を折り曲げ、横矢をかける工夫も見られる。


湯端城(富山市大山町)

湯端城所在:富山市大山町新町
城主:畑久郎
横堀のようにも思われる古道の側に、方形の縄張りを持つ。張り出しや櫓台、虎口が明確に残されている。しかし道路により一部削られている。


津毛城(富山市大山町)

津毛城所在:富山市大山町東福沢
城主:塩谷秋貞・河田長親
 丘陵の先端に位置し、樫ノ木城と合わせて上杉方の城だったが、織田軍に攻められ落城した。昭和40年頃から土石採取により破壊され、今や跡形もない。


樫ノ木城(富山市大山町)

樫ノ木城所在:富山市大山町楜ヶ原
城主:三木良頼・村田氏
越後上杉氏が越中南部の抑えとして築いた城。奥地ながらも居住性が高く、特に立派な切岸による守りには圧倒される。近年まで田畑として使用され改変もありそう。


文珠寺城(富山市大山町)

文珠寺城所在:富山市大山町西小俣
伝承は特にない。尾根の北側を堀切と竪堀で導線を屈折させて櫓台から横矢を掛ける工夫が見られる。主郭下の堀切は見事。南側は完全に遮断はしてないので、北側の敵を恐れたのか。


射水市

放生津城(射水市)

放生津城所在:射水市(旧新湊市)中新湊
城主:名越氏・神保氏
鎌倉期から守護所が置かれ、名越氏が入っていた平城。その後神保氏が入り、将軍職を追われた足利義材も身を寄せた城である。現在、放生津小学校がある場所で、遺構はない。


日宮城(射水市)

火宮城所在:射水市(旧小杉町)下条
城主:神保長職・小嶋職鎮
戦国期に神保氏が居城。加賀・越中の一向一揆の攻撃により落城。


赤井城・赤井砦(射水市)

赤井城所在:射水市(旧大島町)赤井
城主:赤井氏
日宮城の出城として存在した砦。


浅井城(射水市)

浅井城(誕生寺)所在:射水市(旧大門町)島
城主:桃井氏(桃井尚儀)
南北朝時代に築城。二代目の桃井直之が家臣によって殺され、その弟が城跡に一宇を建立したのが現在の「誕生寺」と言われる。


小泉砦(射水市)

小泉砦所在:射水市(旧大門町)小泉
城主:寺嶋牛之助
増山城の付城として存在したようで、城主寺嶋牛之助は佐々成政の家臣であった。


太閤山陣所(射水市)

太閤山陣所所在:射水市(旧小杉町)黒河
城主:豊臣秀吉
豊富秀吉による佐々攻めの際、陣所が設けられた場所。発掘調査で陣地溝跡と鉄砲玉が出土している。現在は宅地となっており遺構は残っていないが、正確な場所については諸説ある。


高岡市

守山城(高岡市)

守山城所在:高岡市東海老坂・二上山上
城主:斯波義将・神保氏・前田利長 等
築城は南北朝期と言われる。その後、長く神保氏が拠るところとなるが、秀吉の佐々成政討伐後は前田利長が入る。利長が富山城へ移ると、前田長種が城主となるが、まもなく廃城となった模様。


二上山城(高岡市)

二上山城所在:高岡市二上
二上山の最高所に築かれている。遊歩道による破壊があるが、堀切などが確認できる。守山城方面の尾根は所々削り込んでいるが堀切は設けず、支城としての機能を果たしたことが伺える。


高岡古国府城(高岡市)

古国府城所在:高岡市伏木古府
城主:神保氏
古代の越中国府があった場所。神保氏が守山城の出城としたが、佐々成政によって勝興寺に寄進され現在に至る。寺院周辺には土塁や空堀が見られる。


頭川城(高岡市)

頭川城所在:高岡市頭川
桃井直常を討伐する斯波氏の軍勢が攻略し、焼き払ったと伝えられる。「安居山古墳群」として方墳がいくつか残り、それを櫓台や土塁として転用しているのが特徴。


二ツ城(高岡市)

二ツ城所在:高岡市山川
三千坊山の山頂に築かれた山城。元は天台宗の山伏修験の地だった。切岸は甘いものの、各曲輪を堀切で遮断し、周囲に横堀や竪堀を設けて守りを固めている。


柴野城ヶ平城(高岡市)

柴野城ケ平城所在:高岡市柴野
城主:寺嶋氏
寺嶋牛助が上杉謙信より五位庄の落着知行を安堵され、また城跡の麓に寺嶋職恵による観音像がある ことから、寺嶋氏が城主だったと思われる。


木舟城(高岡市福岡町)

木舟城所在:高岡市福岡町木舟
城主:石黒氏・佐々平左衛門・前田秀継
石黒氏の居城。上杉氏、織田氏に仕えたが滅亡。佐々成政の時期を経て、前田秀継が入城。しかし、天正13年(1585)の天正大地震により城は倒壊、秀継夫妻は死亡。その子利秀は今石動城に入り廃城となる。現在の遺構は本丸の残骸である。


赤丸城(高岡市福岡町)

赤丸城所在:高岡市福岡町舞谷
城主:中山氏
浅井城を本城とした国人・中山氏の詰めの城。しかし高所に存在し、深い堀切や畝状竪堀など堅固な守りを見せる。深い井戸も残り居住性も高い山城。


鴨城・元取山砦(高岡市福岡町)

鴨城所在:高岡市福岡町加茂
城主:二宮氏
桃井直常討伐に従軍した二宮円阿が「鴨城衆」を命じられ、幕府軍が駐屯したと伝えられる。尾根続きの元取山山頂にも詰めの砦を持っていた模様。


馬場東城(高岡市福岡町)

馬場東城所在:高岡市福岡町馬場
文献は遺っておらず、詳細は不明。
尾根を二重の堀切で断ち、周囲に竪堀を設けて小規模な城ながらも固い守りを見せる。


二塚城(高岡市二塚)

二塚城所在:高岡市二塚
越中守護名越時有の支城。現在遺構は全く無いが、恒性皇子が殺害され、侍従がさらし首になったと伝わる「三ケ首」に石碑が建っている。


氷見市

一夜城(氷見市)

一夜城所在:氷見市中田
城主:温井景降、三宅長盛
本能寺の変後、能登奪回を図る上杉勢が石動山勢と合流する為に越後から舟で上陸し、一泊した陣地であることから一夜城の名を持つ。しかし、削平がしっかりしており長期使われた感がある。
 >>(関連)姿の城


中村城(氷見市)

中村城所在:氷見市中村
城主:長尾左馬助
上杉方の河田長親の与力・長尾左馬助が入ったと伝えられる。県内最大級の規模を持つ畝状空堀群と、大きな堀切が見所。


阿尾城(氷見市)

阿尾城所在:氷見市阿尾
城主:八代氏・菊池氏(菊池右衛門入道)
三方が断崖絶壁で海に囲まれた要害。築城時期は不明だが、天正年間には菊池氏が居城。織田信長、佐々成政に属したが、その後加賀前田氏と内通し、これに怒った神保氏によって攻撃を受けるが撃退。


八代城(氷見市)

八代城所在:氷見市北八代
城主:井上暁悟
谷を隔てて二つの尾根に分かれて城跡が存在する。主郭の直下に明確な切岸は存在せず、少し離れた位置に取り囲むように切岸と土橋を設けている。


指崎城(氷見市)

指崎城所在:氷見市指崎
ゆるやかな尾根を堀切で遮断する単郭の臨時的な城跡。
ただ土塁を併設する竪堀に対して主郭櫓台からの横矢が効いており、縄張りに工夫が見られる。


森寺城(氷見市)

森寺城所在:氷見市森寺
城主:能登畠山氏・佐々氏
氷見市最大規模を誇る広大な山城。尾根を通る街道沿いに数多くの曲輪、堀切、虎口を設け、主郭周辺の石垣や守りも見所である。独立した屋敷跡もあり、ハイキングコースとして整備されているので訪問しやすい。


海老瀬城(氷見市)

海老瀬城所在:氷見市余川
小規模ながらも織豊系の特徴が色濃く遺る陣城の跡。土塁は低く堀は浅いものの、方形の曲輪で枡形虎口を持たせ、塁線の折れ曲がりで横矢を効かせる特色ある縄張りを持つ。
氷見市内でも他に例を見ない異色な城跡。


飯久保城(氷見市)

飯久保城所在:氷見市飯久保
城主:狩野氏
氷見の南西部を支配した国人・狩野氏の本拠地。主郭背後の巨大な土塁や堀切、内枡形虎口の馬出し曲輪の存在などが特徴。ハイキングコースとして整備されている。


惣領砦(氷見市)

飯久保城所在:氷見市惣領
城主:狩野氏(大前左近・奥野主馬)
狩野氏の出城で、家老大前左近と奥野主馬が在城していたと伝えられる。郭は小規模だが、多くの堀切を設けて守りを固めている。ハイキングコースとして整備されている。


千久里城(氷見市)

千久里城所在:氷見市中尾
城主:桃井氏・井上氏
幕府に敵対した桃井直常・直信や井上入道暁悟方の拠点だったが、能登勢によって攻め落とされた。


久津呂城(氷見市)

久津呂城所在:氷見市下久津呂
城主:崩三郎左衛門、長連龍
上杉方の攻撃により能登穴水城から逃れた長連龍がしばらく居住したという。もともとは当地の土豪崩三郎左衛門の城で、この時空城だった。


小浦城(氷見市)

小浦城所在:氷見市小久米
城主:小浦氏
別名・池田城として知られる。主郭を中心に帯曲輪が取り巻き、西と南で堀切を設け、主郭への入口で外枡形虎口と竪堀で守りを固めている。公園として整備されており、非常に訪問しやすい。


小窪城(氷見市)

小窪城所在:氷見市小窪
小規模で単郭の砦跡。城主など伝承は無いが、主郭東側の虎口導線を折り曲げて横矢を効かせ、主郭西側には塁線土塁を持たせるなど、縄張りに工夫が見られる。


摩頂山城(氷見市)

摩頂山城所在:氷見市小竹
伝承もなく城主は不明。東西に延びる尾根を削平し、幾段もの郭を設けている。南・西方向を最も警戒したと思われ、西の二重の堀切は見物である。


【特別展】山城探訪 〜よみがえる中世〜 (氷見市立博物館)

特別展 山城探訪2010年10月に氷見市立博物館で行われた特別展の写真を掲載しています。
飯久保城、森寺城、阿尾城、山崎城などの氷見市内の山城の発掘調査成果の展示がなされました。


砺波市

増山城(砺波市)

増山城所在:砺波市増山
城主:神保氏・上杉氏・佐々氏・前田氏
越中三大山城の一つで国指定史跡。巨大な曲輪と、深く長い堀切に囲まれた鉄壁の守りを誇る。現在公園化され整備も行き届き、ハイキングコースとしても楽しめる。


亀山城(砺波市)

亀山城所在:砺波市増山
増山城の支城だが、その歴史は増山城より古そう。二宮円阿が守った「和田城」とする説もあれば、上杉氏による改修の跡を指摘する説もある。


孫次山砦(砺波市)

孫次山砦城所在:砺波市増山
増山城の北側を守る砦。射水・婦負方面の眺望がよく、東斜面の長大な竪堀が特徴。


安川城(砺波市)

安川城所在:砺波市安川
城主:黒田太左衛門
般若野荘の荘官であった黒田太左衛門尉が領主に対して反乱を起こし立てこもった城。悪党を従えていたので、鬼ヶ城の威名を持つ。尾根道を城内に取り込んでいて、監視の意味もあったのだろう。


千代ケ様城(砺波市)

千代ケ様城所在:砺波市庄川町庄
城主:桃井氏・石黒氏
壇城の詰めの城と言われる。削平が不十分ながらも土塁や虎口の存在は戦国期の改修によるものだろう。遊歩道が整備されていて訪問しやすい。


壇城(砺波市)

壇城(庄ノ城)所在:砺波市庄川町庄
城主:桃井直常・石黒与三右衛門
桃井氏の後、石黒氏の家老の居城となった。現在は田んぼになっており、遺構はないが、その広さが伺える。


隠尾城(砺波市)

隠尾城所在:砺波市隠尾
城主:南部源左衛門尉尚吉
曲輪の周囲に堀をめぐらした小さな城。集落の中に存在する館跡だが、隠尾は廃村となっており、城主子孫で隣接地に住んでいた南部家も今は朽ち果てている。


御館山館・東中館(砺波市)

御館山館所在:砺波市東中
福岡の木舟城の出城。詳細は不明だが、南に正門を持つ方形の館跡だったらしい。城主夫人の館跡も言い伝えられている。現在、遺構はない。


小倉の土居(砺波市)

小倉の土居所在:砺波市鷹栖
城主:小倉孫左衛門
小倉殿館にいた土豪小倉六右衛門の子孫・小倉孫左衛門が天正年間に居住した屋敷跡。現在は土塁の一部が残り、墓地となっている。


東保館(砺波市)

東保館所在:砺波市東保
城主:多智民部大輔政道
地頭の館跡で、周囲を土塁と堀で囲まれた方形の居館だったと見られるが、現在はほぼ全壊状態で、かろうじて土塁の一部が残る。


鉢伏山城(砺波市)

鉢伏山城所在:砺波市隠尾
鉢伏山山頂にあったと伝えられる砦跡。自然地形で遺構は何も無い。
案内板では上杉氏と神保氏の決戦地とあり、周囲に塚とみられる石などがある。


城端城大手門(砺波市)

万福寺山門所在:砺波市苗加
城端城の大手門を善徳寺から移築したものと伝えられる薬医門。
墨書から貞享5年(1688)の建立と分かったが、「城主荒木六兵衛大手之門」ともあり、城門だった場所にあった門と思われる。

小矢部市

松根城(小矢部市)

松根城所在:小矢部市内山
天正12年に、佐々成政と前田利家が対立した時、越中・加賀国境を守る為に成政が大改修した城であり、織豊系城郭の特徴を色濃く残す見所満載の山城。
特に付近を通る街道・小原道を大堀切によって完全に遮断しており、成政の悲壮な決意をうかがわせる。現在、公園化されており、非常に訪問しやすいオススメの歴史スポットである。


一乗寺城(小矢部市)

一乗寺城所在:小矢部市八伏
城主:丹羽吉左衛門・杉山小助
加越国境を守るために佐々成政による大規模な改修があった。田近道に沿って土塁を設けて警備し、さらに大堀切を設けて街道を遮断してしまっているのは、松根城と同じく成政の決意が感じられる見所だ。


源氏ヶ峰城(小矢部市)

源氏ヶ峰城所在:小矢部市道林寺
古くは源平の倶利伽羅峠の合戦の地。
佐々成政と前田利家が対立した際に成政による改修があった模様。城内は櫓台や堀切を設けて縄張りの工夫が見られる。特に南側の大堀切は実物である。


道坪野城(小矢部市)

道坪野城所在:小矢部市道坪野
城主:三宅新左衛門・松岡新左衛門
加賀から今石動へ抜ける街道添いに築かれており、監視の役目があったのか。周囲に土塁を持つ方形の主郭を中心に帯郭などで周りを固めている。前田氏が佐々に対抗する為に改修したとも推測される。


今石動城(小矢部市)

今石動城所在:小矢部市上野本桜町(城山)
城主:前田秀継・前田利秀
加賀の前田氏が佐々氏に対抗する為に築城。広い城域を持ち、きれいに削平され、しっかりとした切岸を持ちながらも堀切による遮断が少なく、陣城のような構えを見せる。


蓮沼城(小矢部市)

蓮沼城所在:小矢部市蓮沼
城主:遊佐氏
陸路水路共に重要な要衝であり、遊佐氏の城下町として栄えた。天正13年、佐々成政の家臣が守備していたが、前田氏に攻略され焼き払われたという。


安養寺城(小矢部市)

安養寺御坊所在:小矢部市末友
かつて一向一揆の拠点であった勝興寺(現:高岡市伏木)が存在し、安養寺御坊と呼ばれる。上杉謙信に属していたが、天正9年に織田方の石黒氏によって攻められ、落城した。


南砺市

井波城(南砺市)

井波城所在:南砺市井波
城主:前野小兵衛等
明徳元年(1390)に本願寺5代綽如によって瑞泉寺が建立された場所で、一向一揆の拠点。天正9年(1581)には佐々成政によって攻略され、成政の家臣前野小兵衛が入城。天正13年に前田利家によって攻められ落城した。


宗守城(南砺市)

宗守城所在:南砺市宗守
城主:小林則行
関東管領上杉顕定の弟・越後国守護上杉房能の家臣、小林則行の築城。
小林退去後、藤井嘉兵衛が城主となるが上杉謙信に攻められ落城したという伝承が残る。 本丸を囲む土塁が遺っている。


広瀬城(南砺市)

広瀬城所在:南砺市福光町館
地元郷士たちによる砦だったが、戦国期に佐々成政が改修したとも言われる。
内枡形虎口や畝状空堀群など守りの工夫が満載。細尾根に三重堀切を設けて、高所の曲輪群を遮断しているのも見どころである。


安居城(南砺市)

安居城所在:南砺市福野町安居
尾根先端にある単郭の城跡。伝承は特にない。
尾根筋を堀切で守り、周囲は見事な切岸と帯曲輪をめぐらしているのが特徴。主郭は削平が甘く自然地形なので臨時の城だったのであろう。
(関連)>> 岩安神明社遺構


山本城(南砺市)

山本城所在:南砺市山本
城主:石黒宗五郎・山本志摩守
東西に細長い方形単郭の館跡であったが、昭和のほ場整備によってかなり削られ、現在は曲輪の一部を残している。北、東、南側を高い切岸で守られたことが伺える。


才川城(南砺市)

才川城所在:南砺市才川七
城主:近岡河内守・太美三郎
細長い尾根沿いに広い削平地を持ち、居住性の高い城。比高は低いものの周囲は急な斜面で守られ、尾根は二重堀切で守られている。


上見城(南砺市)

上見城所在:南砺市上見
城主:篠村太左衛門
三方が急斜面で守られ、弱点となる南側を幅広の堀切で遮断し、幅広の土塁を設けて守りを固めている。直虎口ながらも張り出しで横矢を掛け、導線を折り曲げる工夫も見所。平坦で広い曲輪に井戸跡があり居住性も高い。


御峰城(南砺市)

御峰城 土山砦所在:南砺市土山
城主:稗田善助・青木孫右衛門等
蓮如による「土山御坊」の一部とも見られる。天正年間に佐々成政が築き、加賀方面の防御とした。


杉山砦(南砺市)

杉山砦所在:南砺市北野
標高1110mに存在する砦跡。富山県内では最高所城郭である。
五箇山と井波を結ぶ「道宗道」という尾根道上にあり、道を遮断して監視するように堀切を設けている。五箇山一向一揆によるものか。


砂子坂道場(南砺市)

砂子坂道場所在:南砺市三軒茶屋
城主:高坂四郎左衛門尉・光徳寺・善徳寺
戦国前期、本願寺勢力が砺波平野へ進出する際の足がかりとして築かれた。多くの削平地を持ち、堀切・土塁で固めてかなり大きな拠点。もとは高坂四郎左衛門尉の城があったという。


高木場御坊(南砺市)

高木場御坊所在:南砺市高窪
城主:勝興寺
土山にあった勝興寺が移転してきた場所で、高台になっている。火災により安養寺に移る。現在田んぼとなり遺構はないが「鐘突堂」などの地名が残る。


立山町

日中城(立山町)

日中砦所在:立山町日中
城主:佐々成政
佐々成政による弓庄城攻めの時の付城。現在は墓地となっているが、三方の土塁と空堀が残っている。


新宮山城(立山町)

新宮山城所在:立山町天林
城主:村田弥三郎・岩倉薩摩守
低い丘陵に位置し、現在神社として使われている。小規模ながらも堀切や枡形虎口を設けて導線を折り、防御を高める工夫がみられる。


上市町

弓庄城(上市町)

弓庄城所在:上市町館
城主:土肥氏
弓庄系土肥氏の本拠地。天正10・11年に佐々成政に攻められたが落ちなかった堅城。現在、その遺構はないが、本丸跡地周辺の田畑の高低差などで往年を偲ぶことはできる。発掘調査が行われ、出土品などが隣接する弓の里歴史文化館に展示されている。


柿沢城(上市町)

柿沢城所在:上市町柿沢
城主:桂田善左衛門
弓庄城土肥氏の家老が居城したと伝えられる。全体的に堀切などの防衛が甘く、寺院遺構の指摘もある。
実際、山麓にある広い平坦地は集落の跡、もしくは寺院を含めた居住空間と思われる。


郷田砦(上市町)

郷田砦所在:上市町柿沢
城主:桂田善左衛門・土肥孫十郎・佐々成政・青山佐渡守
天正11年に佐々成政が弓庄城を攻めた時の付城。主郭を中心に帯郭を設けているが、古くから墓地として利用されたようで、後世の改変も見受けられる。


郷柿沢館(上市町)

郷柿沢館所在:上市町郷柿沢
城主:土肥孫十郎・土肥源太郎・土肥孫太郎・土肥弥太郎など
土肥氏の館跡に、現在西養寺が建っている。周囲を土塁と水堀でめぐらした貴重な遺構。虎口前の堀を食い違えるなど防衛の工夫も見られる。


千石山城(上市町)

千石山城所在:上市町千石
城主:土肥氏
標高757mの高所に築かれた土肥氏の詰城。尾根を大堀切で遮断し、削平が甘いながらも主郭周辺も竪堀や内枡形虎口で守る縄張りの工夫が見られる。しっかりしたハイキングコースがあり、登山客にも人気の山。


稲村城(上市町)

稲村城所在:上市町稲村
城主:土肥氏
おそらく千石山城より古い時代の、土肥氏の詰めの城だったのでしょう。城山と呼ばれる山頂に削平地を設け、堀切で尾根筋を遮断している。


滑川市

上梅沢館(滑川市)

上梅沢館所在:滑川市上梅沢
城主:土肥氏?
現在、光明寺の東西に土塁が残っている。


堀江城(滑川市)

堀江城所在:滑川市堀江
城主:土肥氏
江戸時代の文献では、既に川によって削られて遺構がないとあるが、現在墓地となっている高台に城跡の標識が立っている。また、近くの常光寺には堀江館跡が存在したようだ。


魚津市

松倉城(魚津市)

松倉城所在:魚津市鹿熊字城山
城主:桃井氏、椎名氏、上杉氏
越中三大山城の一つで、南北朝から戦国にかけて長く使用され、広大な敷地を持つ山城である。水尾城、升方城など周辺の城郭群と合わせて訪問したい。本丸直下まで車で登れるアクセスのよさがいい。


魚津城(魚津市)

魚津城所在:魚津市本町
城主:椎名氏、上杉氏、佐々氏、前田氏
西側に土橋を設けた本丸と三方に二重の堀をめぐらせた曲輪から構成されていた。織田勢と上杉勢の激戦があったことは、NHK大河ドラマ『天地人』でも演じられて有名に。現在は跡地に大町小学校が建っており、遺構は無い。


天神山城(魚津市)

天神山城所在:魚津市小川寺
城主:上杉景勝
天正10年、織田軍の魚津城攻めの際には上杉景勝が着陣した。現在は登山道が整備され公園化されているが、それが竪堀などの遺構を破壊しているので残念極まりない。


升方城(魚津市)

升方城所在:魚津市升方
城主:椎名氏、佐々氏、上杉氏、前田氏
松倉城の西側を守る支城群の一つ。富山県内でも他に類がない多くの畝状空堀群や、石積みで固めた土塁や虎口など見所が多い。公園化されているので訪問しやすい。


升方南城(魚津市)

升方南城所在:魚津市升方
升方城から南へ約300m離れた林道沿いに位置する。
堀切、竪堀など守りは簡略的で、尾根沿いに細長く郭を設けている。


石の門砦(魚津市)

石の門所在:魚津市升方
松倉城の城下町である鹿熊地区への西の入り口に当たる。
川原石を積み上げたその規模に圧倒される。尾根上には郭や土塁が残るが防御施設としては手薄で、権威の象徴して築かれたものだろう。


鹿熊城殿砦(魚津市)

城殿遺構所在:魚津市鹿熊
鹿熊集落を見下ろす位置にある居館跡。現在は神社とゲートボール場として整地されており保存状態は悪い。
一部土塁を残しており、周囲を切岸で守っていたことが分かる。


武隈家老屋敷(魚津市)

武隈屋敷所在:魚津市小菅沼
松倉城主椎名氏の家老、武隈氏の屋敷跡とされる。立派な枡形虎口や石垣で囲まれているが、近世の積み直しと思われるので注意が必要。
敷地は昭和の時代まで生活の場となっており、民家が残っている 。


黒部市

若栗城(黒部市)

若栗城所在:黒部市若栗
城主:不悪礼斎右京輔、総田太郎左衛門
上杉謙信に攻められて落城したとされる。北、西、東に高さ4〜5mの大型の土塁が残り、横矢をかける虎口跡が特徴。発掘調査で建物や土塁基礎の石敷が見つかっている。


長安寺館(黒部市)

長安寺館所在:黒部市若栗
長安寺境内の東、南、西に土塁が残っている。石垣になっているのは後世のもので、南西端部分は発掘調査により、当時の規模となっている。入母屋造の山門は江戸時代末期のもの。


鋲ヶ岳城(黒部市)

鋲ヶ岳城所在:黒部市嘉例沢
標高861mの非常に高所に位置する。伝承は特にないが、尾根筋を3本の堀切で遮断しており、主郭は自然地形で臨時の城を思わせる。


中陣砦(黒部市)

中陣砦所在:黒部市中陣
上杉謙信または上杉景勝が在陣したと伝わる。大将と側近だけが野営するような小規模ながら、堀切、土塁、虎口を持ち守りを固めている。


朝日町

宮崎城(朝日町)

宮崎城所在:朝日町宮崎
城主:宮崎太郎長康、岩船藤左衛門尉、丹羽権平、高畠定吉 など
越中・越後の国境、交通の要所に位置し、度々戦闘の場となった。伝承では、木曾義仲に属する豪族・宮崎太郎が北陸宮と共に入ったが確証は持てない。戦国期は上杉謙信の越中侵攻の基地として重要な役割を果たし、佐々成政勢との戦いの場となった。(関連)>> 南保城・館の城


【番外】石川県の城

岩倉城(小松市)

岩倉城所在:小松市原町
特に伝承は残っていないが、集落から離れた奥山にありながら織豊系の特徴が強く残る山城跡。おそらくは一向一揆軍から奪い取った織田軍が改修したものであろう。
主郭など全周に塁線土塁をめぐらし、虎口も工夫された鉄壁の守り。


舟岡山城(白山市)

舟岡山城所在:白山市八幡町
城主:若林長門・高畠定吉
前田利家時代の石垣が残る貴重な山城。縄張りも徹底した織豊系で主要曲輪に石垣をめぐらしている。ゆるやかな北側に残る切岸などは一向一揆時代のものか?


 

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