富山県の山城・城跡

樫ノ木城(かしのきじょう:村田城)

富山県富山市大山町楜ヶ原(地図

 かなり奥地ではあるが、越後上杉氏が越中南部の拠点として築城したものと思われる。
 元亀元年(1570)、上杉方であった飛騨の武将・三木良頼が守備していた。また上杉方の村田氏が在城したという記録もある。天正6年(1578)3月の上杉謙信の死により、織田軍の越中侵攻で9月に津毛城が落ちているので、この頃に廃城になったとも考えられる。
 城域は広く、水源もあり居住性が高い。なにしろ切岸が凄まじく圧倒される。それに反して、城の中央を通る通路は防衛上不利であり、おそらく後世に神社などの宗教施設が設けられた関係のものであろう。
 昭和の時代まで畑として使われていたようで、改変も多そう。麓の樫ノ木集落は既に廃集落となっており、城は管理されておらず、藪状態。湿気も多く、熊の住処でもあるので訪問にはくれぐれもご注意を。(撮影2022年11月)

 >>入り口から、水源、切岸(当ページ)
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樫ノ木城位置

樫ノ木城縄張り図
樫ノ木城 城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)

バス停
樫ノ木バス停前の分かれ道。上が樫ノ木集落への道。
無住集落ながらも、現在でもバスがここで転回するそうです。
ここへの駐車は控えましょう。

樫ノ木城、入り口
城跡への入り口。ここから登っていきます。

竪堀
竪堀に出会います。これは北側。(城郭図1)

竪堀
城郭図1の南側の竪堀。藪で分かりにくいですが。

本来の導線
道は上へ繋がりますが、本来の導線はこちら。
 ……って、藪の中ですが。

藪へ突入
藪へ突入しましょう。(城郭図2)

切岸
見事な切岸に出会います(城郭図3)

樫ノ木城の水源?
下に降りれば水源があります(城郭図4)

水源曲輪
水源は曲輪っぽく見えます。かつての田畑でもあったでしょう。

集落の水源
湧き水地点。集落の水源でもあったようです。
戦国期も水が湧いていたのでしょうか。

切岸を見上げる
水源から見上げる切岸。
いやはや凄い高さ。圧倒されます。

切岸
切岸……すごいなあ。

曲輪
城郭図Gの曲輪に来ました。
この直下に二重堀切があり、尾根沿いを守る曲輪だったのでしょう。

二重堀切1
二重堀切の城側(城郭図5)

二重堀切2
二重堀切の外側

土塁通路
土塁があります(城郭図6)

広い空間
曲輪Fは非常に広く、居住地だったのでしょうか。(城郭図7)
多くの段差が存在し、後世田畑として使われていたので改変も多いでしょうね。

切岸と横堀
城郭図8の切岸に来ました。こりゃまた立派な。

切岸
切岸。それに沿って横堀も設けられています。

虎口
城郭図9の虎口部分。

切岸の藪
虎口から東側の切岸を見ます。
藪だなあ……。

虎口
城郭図9の虎口部分を城側から。
真ん中をぶち抜く道は防衛上不利です。後世のものか?

櫓台
……しかし、虎口には櫓台のような高まりと土塁が伴っています。
ここだけはかつても虎口だったのか?

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