富山県の山城・城跡

蜷川館(最勝寺城)

富山県富山市蜷川

 蜷川館は最勝寺館、最勝寺城とも呼ばれ、蜷川氏の創築。元々は山城国の宮道親直が源頼朝の家臣となり、蜷川を拝領して越中に入ったと言われる。
 主郭は寺の北側、現・健康増進センター付近にあったと思われ、かつては土塁も残っていたが今は跡形も無い。最勝寺周辺に土塁跡を残すだけである。(撮影2009年10月)

参考資料:北陸の中世城郭 第6号(平成8年:北陸城郭研究会)

最勝寺案内板
最勝寺山門前にある案内板

最勝寺山門
最勝寺山門

蜷川館土塁跡
山門の北側に浅いが土塁の遺構が認められる。
奥は健康増進センター。かつてセンターの一帯は田園で、北郭の土塁も残っていたという。
北郭には歴代住職の墓跡もあり、城の本丸は北側だったと推定されるという。

最勝寺城土塁跡
最勝寺北側の土塁跡

最勝寺城土塁跡
最勝寺西側の土塁跡。
城の大手はこのあたりだったと推定される。
永禄9年、神保氏によって攻められた時、蜷川常嗣が大手橋上で戦死したという。

蜷川館土塁跡
最勝寺西側の土塁跡を敷地内から見る。

最勝寺
最勝寺

最勝寺案内板
最勝寺内にある仏像の案内板

蜷川館推定範囲
蜷川館の推定範囲
土塁の囲まれた南北の2つの曲輪からなる居館

最勝寺 航空写真
航空写真(昭和50年・提供:国土画像情報 国土交通省)