富山県の山城・城跡

太田本郷城(おおたほんごうじょう)

富山県富山市太田南町(Googlemap

 中世、国衙領太田保は度々争いの舞台となっていた。元亀元年(1572)上杉謙信方の武将・河田長親が太田保に入る。翌年に謙信は、富山城の一向一揆勢を攻めるために「本郷」に向城を築かせたのが太田本郷城といわれている。
 天正6年に上杉謙信が死去すると、織田方が飛騨より攻め込み、上杉方は今泉城へ撤退。織田方の斎藤新五が太田本郷城に入った。その後、斎藤は今泉城から上杉方をおびき出し、月岡野の合戦で勝利した。
 現在、遺構はない。推定地に石碑と案内板が立っている。平成3年の発掘調査で堀とかわらけが大量に見つかった。平成12年にも発掘調査が行われ、城域が推定されたという。円光寺東を流れる川が屈折しているのは、おそらく堀のなごりと思われる。
 (撮影2010年2月)


太田本郷城位置

太田本郷城
 太田本郷城の石碑と案内板

案内板
 案内板

円光寺
 円光寺も城域内らしい

太田本郷城出土のかわらけ
 太田本郷城出土の「墨書のあるかわらけ」

太田本郷城出土物
 太田本郷城出土物の案内

堀跡
 発掘調査で見つかった堀跡

太田本郷城推定範囲
 城の推定範囲