富山県の山城・城跡

新庄城

富山県富山市新庄(地図

 永正17年(1520)越後の長尾為景が新庄に布陣したというのが最初の記録。天文19年(1550)には三輪飛騨守(神保方)が新庄城に居城していたが大村城の轡田氏によって攻略されたという。
  元亀2年(1571)には上杉方に攻められ落城、翌年には上杉謙信がここに陣を敷き、富山城の一向一揆勢と合戦となる(尻垂坂の合戦)。
その後、織田方の神保氏との争いの地となり、天正11年(1583)には佐々成政方の城として土田将監・加藤大蔵が守備していたが、土肥政繁の将・杵屋平左衛門に攻められ落城。このように激しい攻防戦の場でもあった。
 江戸時代には前田氏の御陣屋があったといい、現在は新庄小学校が建っており、遺構は全く無い。発掘調査によって土塁や堀、井戸などが見つかっている。(撮影2023年6月)


新庄城跡 位置

新庄城 案内板
新庄城案内板と新庄小学校グラウンド
現在のグラウンドが本丸跡地と伝えられます。

案内板
案内板

新庄小学校
案内板と新庄小学校校舎

グラウンド
グラウンドの西端で、高低差が認められます。
城跡のなごりなのでしょうか。

アパート古城
この付近「古城」という地名を残します。

新庄城航空写真
昭和36年(1961)航空写真