富山県の山城・城跡

津毛城(つげじょう:黒牧城、附之城)

富山県富山市大山町東福沢(地図

 天平年間(1346~69)に桃井直常が在城した伝承がある。それを裏付けるかのように、近くに直常の墓と伝わる五輪塔も存在する。
 その後、飛騨の塩屋秋貞が居城したといわれ、特に樫ノ木城を攻略するための出城だったとも伝わる。つまり「付城」として機能したので「附ノ城」から「津毛城」と名がついたとも言われる。
 天正6年(1578)3月、上杉謙信が急死したことで織田軍による越中攻略が始まり、神保長住続いて斎藤利治らが飛騨より越中に侵攻。津毛城には河田長親、椎名小四郎がいたが今泉城へ退き、月岡野の合戦により上杉方は松倉城へ撤退した。
 城跡は丘陵の先端に位置し、東南西には土塁が築かれ、東西土塁の外側には横堀が存在した。土塁は虎口付近で食い違っていたという。北側は急斜面。主郭は東西220m、南北120mとかなり広い。ところが昭和40年ごろから土石採取が始まり、城跡すべてが破壊された。現在は福沢小学校が建つあたりである。


津毛城跡 位置

津毛城
昭和36年航空写真

津毛城航空写真
航空写真から、土塁の位置が見て取れます。

状況
現在の状況(令和3年)

津毛城現状

桃井直常墓
伝桃井直常墓所

津毛城土塁
「大山町誌」に掲載されている津毛城土塁